<南風> 「沖縄戦を知らない俺」


社会
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 かつて沖縄は戦場だった。そのことを知らずに県外から沖縄へやってくる大学生と毎年出会う。「沖縄戦」という言葉を耳にしたことはあったが、沖縄本島での話なのか、外国の離島での話なのか、全く分からないという学生もいる。年々、そういう学生が増えてきたように感じるが、私は以前より驚かなくなった。今からでも学ぶ機会を作ればいいと思うからだ。

 5月中旬から慰霊の日にかけて、「沖縄戦」を大学のゼミで扱う。文献を読み、体験者の話も聴かせていただく。隣で大切な人が息絶えるも、葬ることすらできずに逃げ惑ったという体験者の話に目頭を押さえる学生。「いくら映像を観(み)たり、話を聴いたりしても、怖いとは思うが全く実感がない。あくまでも過去の沖縄の話であって、県外者の自分にとっては他人事でしかない」と正直に感想を書く学生。反応は様々。そんな彼らと戦跡を訪れた日、彼らの目つきが変わった。実際にその場に立ち、場が放つ空気感に浸る。曖昧な言い方だが、場が語るリアルに勝るものはないと感じた日だった。

 「他人事には興味ない」と言っていた彼がもっとも時間をかけて見ていたのは、摩文仁の「平和の礎」。自分の出身地の刻銘箇所を見つけて静かになった。「沖縄戦で犠牲になったのは、沖縄の人だけだと思っていたけど、そうじゃなかった。他人事じゃない」。次に見つけたのは出身地の慰霊塔・碑。手を合わせてしばらく動かない。何かをブツブツ言っているようだったが、そこはそっとしておいた。

 帰り道、スマホをいじるその学生。今日のゼミのことをLINEに投稿しているとのこと。「沖縄戦を知らない俺」という言葉と写真の数々。そして、「生かされている命に感謝」というスタンプ。発信したい心の中の何かを、彼のやり方で残したのだろう。イマドキでも気持ちは伝わる。
(吉川麻衣子、沖縄大学准教授 臨床心理士)