<南風>植物が教えてくれること


社会
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 先日、20代にして独立して農業を営んでいる宮古島の青年が少し酔いながら楽しそうに語り出した。

 「毎日、野菜が自分を待ってくれているんですよ」「野菜にちゃんと向き合えば、応えてくれる」「野菜から私は給料をもらって生活できているし、その野菜がいろんな人に喜ばれる」「野菜と共に生きていく」「最近自分の生きる意味、というものが見えてきたように思うんですよ」と。かなわないなぁ、と思った。

 近所の花屋さんの先輩も語っていた。「人間はいろんな環境に合わせられるけど、植物はそれができないから、いろんなことを教えてくれるんだよ」「20年前に赤道近くから持ってきた植物が、最初は花が咲かなかったが、この数年、宮古島で咲くようになったんだよね」「熱帯の気候になってきているんだよ」と。

 植物に関わる人の話はワクワクして聞き入ってしまう。そもそも私は、土に種を蒔(ま)き、水を与えると芽が出てきて生命体となる神秘性に、ドキドキしてくる。

 農業青年は「毎年必ず違う結果となるから、きっと答えがない仕事なんですよ」と言っていた。「同じようにやっても、気候をはじめ、いろんなことで毎年違う結果となる」「だから常に勉強ですし、毎日が楽しくて楽しくて」と、見せる笑顔に心打たれた。

 いろんな職業の人に会うが、植物を相手に仕事している人の話には嘘(うそ)がないから、深くて熱い。どこかで得た知識をさらけ出すのではなく、あくまでも自分が経験してきた実話を話してくれるのだから魅力的だ。

 私のふるさとには農家はなかった。宮古島に暮らすようになって、市場で知り合いの生産者の名前のある野菜を購入できることが、これとない贅沢(ぜいたく)と感じている。そして、自然が教えてくれること…に少しずつ敏感となってきた自分に、幸せを感じている。
(江川ゲンタ、宮古島大使 打楽器奏者)