<南風>怪・怪・快?


社会
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 好みはそれぞれではあるが、日本では高めの可愛(かわい)らしい声が好まれる傾向にある。その中にあって、私の低めの声は好みの主流からは外れている。駆け出しの頃「声に若さがない」「湿っぽいよね」とことごとく嫌われた。こういったことも手伝って、声質は長年コンプレックスの一つだった。

 私が朗読する時のテーマは名作、平和や沖縄に関するもの、そして怪談。どの作品もやりがいがあるが、怪談に関しては自分の声が活(い)かせる世界とようやく巡り合った気がしている。

 さて怪談朗読の話である。怪談の面白さと難しさは「怖い」という前提で始まるところ。そして人の想像力。なんでも未来を想像するのは人間だけだそうな。科学が発達していなかった太古の昔、暗闇に潜んでいるかもしれない未知の存在への恐怖、説明のつかない事柄への不安と折り合いをつけるために怪は生まれた。人の想像力の究極ではないだろうか。想像力と期待に声だけでどこまで迫れるか? 終わりのない挑戦だ。

 怪の世界をおもしろ真面目に楽しもうと生まれたのが怪談番組「琉球あやかし堂」。現在、インターネットで不定期配信している。単に怖い話をするだけでなく、毎回「妖怪」や「未来」などテーマを決め、その筋のゲストに話を聞く。私は幽霊を見たことがないが、だからこそどんなものかと興味がある。幽霊なんていないと決めつけるよりも、ゆるっと受け入れた方が断然楽しい。

 県内外の視聴者とのつながりの中で、科学が発達した現代でも、怪談が今を生きる人間の精神安定剤という役割は変わっていないと知った。死者を語ることで死者とのつながりや、生きていること、生き方を考え、死への不安を和らげる。21世紀の沖縄でまだ仏壇とお墓とユタの話に終わりがない理由がわかった気がする。

(諸見里杉子、ナレーター・朗読者)