<南風>青空に想う


社会
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 沖縄戦を生きぬいた人びとの語らい会。約10年間続き、昨年末に閉会した。私にとっては、数年ぶりに語らいのない6月を迎えた。一層、語り遺(のこ)された言葉がうかぶ。

 戦時中、カネさん(享年89)には心を寄せる人がいた。「拝見し、声が聴けるだけで幸せだった」と語る。短い恋文を手に、弾む気持ちで会いに行った日、告げられた出征の知らせ。「立派なことです」と言い残し、文を渡すことなく走り去った。「これ以上お会いしていると辛(つら)くなると思ったので」。あれから二度と会うことはなかった二人。

 カネさんが参加していた語らい会では、参加者にとっての想(おも)い出の地に出向いて語らうこともあった。カネさんが訪れたかった場所は、あの方とよく逢(あ)っていた丘。鉄筋の建物が並ぶ一変した景色。「でも、変わらないものが心の中にあるの。ふり向くと、あの爽やかな笑顔が迎えてくれそうだわ」と、話し始めた。「悲しすぎたあの日。救いだったのは、空がまぶしすぎるほど青かったこと。この青をずっと覚えておこうと思った」と、ボロボロになった恋文を木箱から取り出した。もうすっかり文字は消えてしまっていた。それでもカネさんはあの時に伝えたかった想いを読んだ。

 「どうかご無事で、またお会いしたい」と。カネさんは、あの日が最期になると予感していたという。「そういう時代だったからね。この話をすると、あなたも戦争に翻弄(ほんろう)されたのねと言われたことがあるけれど、私は違うの。あの方の分まで精いっぱい生きてきて、今、ここに来られて幸せだと思っているの」と語る。私は、梅雨の晴れ間の青空にカネさんを想った。

 戦世に抱え、誰にも打ち明けずに封印され、亡くなっていった言葉たち。今、語り難い言葉が静かに語られ始めている。直に語ることができるうちに、という想いで。
(吉川麻衣子、沖縄大学准教授 臨床心理士)