<南風>沖縄


社会
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 私は沖縄のことが嫌いになって、18歳で沖縄を離れた。初めて会う人の知り合いが自分の知り合いだったみたいな「沖縄あるある」が、窮屈だったのだ。見知らぬ土地で暮らしたい。当時はそんな想(おも)いだった。沖縄に戻ってやがて10年。最終回は、沖縄に対する今の想いを記してみたくなった。

 北谷の海岸沿いをランニングしていると、外国の方と一緒になる。まったく追いつけないペースで颯爽(さっそう)と走りゆく後ろ姿は、かっこいい。すれ違う時、彼らは微笑(ほほえ)み、「素晴らしい夕空だ、見てごらん」と声をかけてくれる。必死の形相で走っている私は、その言葉に顔を上げてフッと力を抜き、笑顔を返す。そんな交流が好きだ。沖縄が抱える様々なものへの想いは一寸も浮かばない。

 昨今の世界動向。その背景や歴史をどれだけ深く理解できているかと問われると、まったく自信がない。沖縄のことも然(しか)り。時に、一部の情報に惑わされて判断しようとしたりもする。私は無知な凡人だと自覚する。だが、純粋に想う。時代が移り変わっても、私たち一人ひとりが、この素晴らしい故郷に生まれてよかったと思える、互いの幸せを願える、そんな世の中の創造を願う。たとえ、それは絵空事や御伽(おとぎ)話だと笑われようとも。「平和」の概念は、一人ひとり違うのではないか。

 人は過去の経験から多くのことを学ぶことができる。対話によって縁を取り戻すことができる。そんな力があるはずなのに、国同士となるとそれが難しくなるようだ。互いのいいところを見ようとしない、互いを理解しようとしないやり方はもう懲りたはずではないのか、あの戦争で。と、桑田佳祐さんの歌詞になぞらえてみた。

 「南風」を通して、意外な再会が続き、窮屈だと感じていた「沖縄あるある」も、いいものだと感じた。誠にありがとうございました。
(吉川麻衣子、沖縄大学准教授 臨床心理士)