<南風>沖縄戦から学ぶ


社会
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 数年前から、沖縄戦のことを考えるとき、異様に大きく育ったイモやトウガン、カボチャが頭に浮かぶようになった。下門次男(本名・玉那覇文彦さん、2017年ご逝去)著『島言葉(くとぅば)対訳詩集 昔沖縄泣き笑いー(んかしうちなーなちわれー)』(琉球館刊)の発行に携わらせていただいてからだ。

 同書に「特大(うすまさま)ぎさる芋(んむ)(巨大芋)」という詩があり、沖縄戦直後の戦場跡で、犠牲になった人々の血や肉が肥料となって作物が巨大化した様子が描かれているのだ。食糧不足だったとはいえ、「死人(しにっちゅ)ぬ魂ぬ 乗(ぬ)い移(う)てぃとーん成(ねー)し(死者の霊が乗り移ったようで)」手を付けられなかったという。

 19歳だった下門さんは、西原と南部で戦闘に巻き込まれた。同書の「戦場(いくさば)ぬ哀(あわ)り」で、何十年経(た)っても、「生後生(いきぐそー)」で遭遇した多くの死が脳裏から離れないと書いている。

 今年の慰霊の日。私は、下門さんの詩を思い起こしながら、糸満市米須に向かい、魂魄(こんぱく)の塔に手を合わせた。その隣の広場の「第35回国際反戦沖縄集会」では、韓国からのゲストの報告などを聴くことができた。

 その後、県立博物館・美術館に移動し、沖縄近現代史家の伊佐眞一さんの講演「沖縄戦のー ちゃーし 継承さんねー ならんが?」をお聴きした。しまくとぅばでのお話だった。勉強不足の私は完全には理解できなかったが、沖縄戦の体験を現在の政治・社会問題につなげることの大切さを強調されていたと思う。体験や学習によって「戦争はイヤだ」と考えるようになったとしても、「だから軍事バランスが大事」となってはいけない、とも。

 下門さんも、「意気地無者(たきなむん)(いくじなし)」という詩で、戦後何十年経っても米軍の訓練が戦場さながらに強行される沖縄の状況をなげいている。下門さんがまだお元気だったら、今の沖縄をどんな詩に書き上げられるだろう。
(照屋みどり、しまんちゅスクール代表)