<南風>地域放送局の役割


社会
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 去年に続いて参列させて頂いた「慰霊の日」の全戦没者追悼式。大きな反響を呼んだ中学3年生、相良倫子さんの詩の朗読を目の前で聞けたことは、私にとって生涯の財産となりました。重厚な言葉で畳み掛けるように戦争の愚かさを訴えるその姿。世代を超えた戦争体験の継承がここまで劇的な形で可能なのかと心の震えが止まりませんでした。

 思い出していたのは現役記者として同じ摩文仁の地を訪れた18年前の夏のこと。この時もある言葉に胸を打たれていました。同行取材していたクリントン米大統領が演説で述べた“バンコク・シンリョー”の一言。「世界の人々に知ってほしい。沖縄は戦地であっただけでなく、国家間の懸け橋“万国津梁”の地であることを」との訴えでした。この4文字にこそ沖縄の平和志向や国際性、寛容さが凝縮されていると感じたことを覚えています。

 その時の現地発の特番で聞き手を務めたのが、NHKニュースの顔だった川端義明アナ。その川端さんと私がそれぞれ3年後と17年後、局長として再び沖縄を訪れることになるなど誰が想像できたでしょうか。沖縄との不思議なご縁としか言いようがありません。今では局長室の入り口に掲げられた「万国津梁」の書を見ながら一日の仕事を始めるのが日課となっています。

 慰霊の日の追悼式は、沖縄放送局が全国中継を始めるようになって今年で10年です。広島と長崎の式典だけでは公共放送の使命を果たせないと当時の職員らが声を上げ、東京に直談判して実現させたと聞いています。大戦末期、首里にあったラジオ局が空襲で破壊され、地上戦で職員7人を失った私たち沖縄局にとっても、戦争を風化させないための取り組みは他人事ではありません。地域の放送局として新たに何ができるのか、慰霊の日が訪れるたびに深く考えさせられます。

(傍田賢治、NHK沖縄放送局局長)