<南風>「冬の7月」


社会
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 曾祖父が大宜味村から南米ペルーへ渡ったのは、今から98年前の1920年のことで、そのころの名字は少なくとも「KAMIZATO」だった。(もともとは「KANZATO」と読んでいたのが、旅券取得の段階で「KAMIZATO」とされてしまった、と聞いたことがある。いまいちはっきりしない)。

 船が到着したペルー最大の港町カヤオに曾祖父の墓はあり、「KAMIZATO」と彫られている。その隣にある数年遅れて移住した曾祖母の墓には「KAMISATO」と名字が彫られている。

 ペルーを含む南米のほとんどの地域で話されているスペイン語は、SもZも読みは同じになり、日本語で言えばサ行であることからいつのまにかそうなった。それからは、祖父も父もわたしも「KAMISATO」姓を名乗っている。

 祖父はペルー、父は那覇、わたしはペルー生まれで、縁あって神奈川で育った。沖縄へ行くのは年に一回あるかないか。母の出身地は札幌で、親戚も多く住んでいる。札幌のことはよく知らない。頻繁に旅に出ているせいか、神奈川に対する執着もなくなってしまった。たまにペルーへ行っても、スペイン語はあまりうまくならない。

 ふだんは演劇の作家として、同時に演出家として、演劇作品をつくっている。沖縄や南米や、そのほか訪ね歩いた場所で出会ったひとたちのこと、彼らから聞いた話、それについて感じたことなどを、いつまでも内部に入れない人間の視点で書いている。

 わたしは「JULIO」(フリオ)というスペイン語の名前を持つ。7月(生まれ)という意味だ。わたしは断然夏のほうが好きだが、南半球の7月は(地域にもよるが)冬なので、わたしは冬生まれだ。

 北半球の冬までの半年間よろしくお願いします。
(神里雄大、作家・舞台演出家)