<南風>心の故郷、伊平屋島


社会
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 教員として採用され初めて赴任したのは、沖縄県の最北端に位置する伊平屋島の伊平屋中学校でした。大学の同級生らが本島内の学校へと採用される中、私だけが離島採用でした。しかし、伊平屋への赴任こそが私を離島好きにするきっかけとなる出来事でした。

 自然豊かで人情味あふれる人々。赴任してすぐに伊平屋島が大好きになりました。私をとりこにしたのは島で繰り広げられるさまざまな祭りごと。豊年祭や青年会のエイサー。追い込み漁やいざり漁。字対抗の陸上競技大会に9人制バレーボール大会等、数々の島の人々との触れ合いでした。

 中でも各字で繰り広げられる豊年祭は、私にとってその舞台に立つ初の経験でした。前泊公民館で本番に向け約1カ月の練習を実施。その期間、学校では運動会に向けた練習も入り公私共にハードな期間でした。青年会の一員として参加したエイサーも印象深く記憶に残っています。

 学校では国と県の指定を受けた体力づくり研究校として島内唯一の体育教師として孤軍奮闘の日々でした。また、離島ではよくあることで英語や美術の教科担当をしたことも今となっては良き思い出です。

 特に英語は高校入試のプレッシャーもありましたが全員合格を果たしホッと胸をなでおろしました。

 今でも島に渡ると皆さんが温かく迎えてくれます。あの頃のさまざまな色や匂いがよみがえります。新緑や田んぼの緑、中学生と採ったアマンジャ(あけびの一種)の甘い香り。黄金色に輝く稲穂の香ばしさ。夜中に素潜りした時のクブシミや伊勢エビの群れ。見上げれば満天の星空と流れ星。米崎海岸から見渡すコバルトブルーの幾重もの蒼の重なり。当時の中学生の顔や人々の表情が走馬燈のように脳裏に浮かびます。

 教員原点となった伊平屋は私の心の故郷なのです。
(西永浩士、名護特別支援学校長 県特別支援学校体育連盟会長)