<南風>隣の芝生


社会
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 私は隣と、その隣の芝生におじゃましてきました。芝生にはモノレールや、モール、映画館から楽器屋まで何でもある憧れの沖縄本島。高校入学と同時に15歳で足を踏み入れた初めての都会。輝く街の明かり、鳴り響く音楽、人との出会いがありました。

 教室の窓から見えるのは大きな国場川。見たことのない景色や環境に心躍らせました。渋滞を横目に街を歩くと、道端で空き缶に小銭が入るのを待つ服もボロボロのホームレスが座っていました。その光景は15歳の私にはショックでした。

 「どうして誰も助けないの」と思っている自分も何もできず悔しいと思いました。伊江島ではこんな胸が苦しくなる光景はありません。今では何も感じず素通りすることに慣れた私がいて悔しい。

 高校卒業と同時にさらに隣の芝生へ。あらゆるものの最高峰が集まる夢が詰まった都会、ギター1本背負い東京へ。沖縄では見られない国内外のアーティストを間近で見たり、大きなステージで歌う機会を頂いたりと刺激的な出来事ばかり。一日の過ぎるスピードが速く、一生懸命目標に向かって歩く人々にもまれ、満員電車ではギターとともにつぶされそうになるときもある。プロのレベルについていけなくて沖縄に帰りたいと泣いた時もあります。

 そんなとき「伊江島で静かな午後に、海を目指してゆっくり歩きたい。誰の評価も気にせず実家の縁側で歌いたい」と思ったのです。多くの人に歌を聴いてもらいたくて上京したにもかかわらず、結局隣の芝生のほうが青い。そんなときは自分が立っている芝生(環境)にはどんな花が咲いているか、その花を「美しいね」と言い合える人がどれだけいるか冷静に見渡すことも大切です。愛情を注げばもっときれいな花が咲き青い芝生が見えてくることでしょう。

(Anly、 シンガーソングライター)