<南風>世界から学ぶ


社会
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 7月半ば、インドネシアのジョグジャカルタに行った。東南アジアのアーティストと交流を目的としたプログラムに参加するため。

 わたしにとってアジアは遠い。いや、「遠かった」。逆に南米は近い。南米に生まれて、住んでいたこともあり、南米と日本が隣り合っているようなイメージだ。

 2011年の原発事故が起きてから、関東に住んでいる理由がよくわからなくなってしまったわたしは、全国各地の都市や島々、ソウルや北京などの東アジア、中南米、ヨーロッパなど演劇の公演や取材で、あるいは単に旅行で、とにかくいろいろな場所に行った。

 インドネシアへは、去年、演劇の公演をしに行って以来、二回目。わたしはインドネシア語が話せないので、会話は英語になるわけだが、彼らとの英語の会話は、欧米人たちと話すときよりも、リラックスして話すことができる。お互いがヨーロッパ言語ではない言葉を母語としていること、それから、顔の感じが似ているということも理由かもしれない。人々の感じも心地よい。なんとなく沖縄と似ているところがある気もする。

 似ていると言えば、「チャンプル」という料理があって驚いた。インドネシア語、マレー語で「混ぜたもの」という意味らしい。沖縄と同じじゃん。

 世界地図をよく見ると、サハリンから、沖縄諸島を経由してオセアニアまでが飛び石のように連なっている。きっと各地が、昔から交易をし、文化的、言語的に影響を与え合ってきたのだろう。そう想像することができて、興奮する。

 同じ場所にずっといると、そこのことばかりが気になってしまって、こういう想像がおろそかになってしまう。移動をすることで、その土地を近いものにすることができ、想像力が磨かれる。自分の知らないことを知ることができる。
(神里雄大、作家・舞台演出家)