<南風>熱い夏の甲子園大会開幕


社会
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 酷暑が続いている。この日本列島をさらに熱くするのが今回で100回目の記念大会となる夏の甲子園大会だ。私は野球好きの父の影響で野球が大好きだ。小学生時分のプロ野球と言えば読売ジャイアンツ。まさにV9の時代だった。

 当時の小学生がかぶる帽子はすべてYGマーク、沖縄のプロ野球放送はすべて巨人戦だった。父に連れられて、あの王、長嶋茂雄が活躍する全盛期のジャイアンツのオープン戦を奥武山球場で目の前で観戦できた。

 父は商売の傍ら、近所の小学生を集めて「天妃スワローズ」を結成した。高学年の兄はチームの中心選手だったが、私は低学年で身体も小さく、練習にすら参加させてもらえなかった。父は鹿児島出身で復帰前の夏休みに鹿児島へ船で渡った時、私もパスポートを持ち同行した。旅先でも甲子園のトーナメント表を持ち歩き所々で父と勝敗を確認しては結果を書き込むのが私の役目だった。しかし父の商売が傾き始めチームも解散。野球する機会も失われた…。これまでの甲子園大会で県勢の活躍として強く印象に残る試合がある。

 1975年選抜大会の豊見城高校。優勝候補筆頭の原辰徳を擁する東海大相模とのベスト4を賭けた一戦。沖縄の星、ピッチャー赤嶺賢勇は強力打線を0点に押さえ1点リードのまま9回裏へ。大金星まであとワンアウトと迫り県民は固唾を呑み見守った。

 しかしそれからまさかの連打で同点、次打者の打球が一塁手の上へフラフラと上がり延長戦かと思いきやミットをかすめてポロリと落ち万事休す。つかみかけていた勝利が手の平から落ちた。最高に県民を熱狂させたのは2010年、興南高校の春夏連覇である。

 私は興南の強さに魅了され、夏の県大会決勝は北谷球場で、夏の甲子園決勝は興南の体育館で優勝を堪能した。チバリヨー興南高校。

(西永浩士、名護特別支援学校長、県特別支援学校体育連盟会長)