<南風>宮古島トライアスロン完走


社会
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 大切なアルバムがある。これを見ると即効性ビタミン剤のように気分が高揚する。初めて宮古島トライアスロンを完走した時に当時の宮古養護学校の同僚らが作成した宝物だ。

 宮古島トライアスロンは宮古ブルーの海と島の人々の熱い応援とで絶大な人気を誇る大会だ。総距離200・195キロメートルは最も過酷なスポーツでもある。赴任早々の4月に大会がありアスリートの熱き闘いに魅了され出場を夢みた。

 1997年チャンスが巡ってきた。この年は実在の聴覚障害者アスリートの映画ロケも加わり大会は例年以上の活気に包まれた。独特の雰囲気の中スイムがスタート。スイムは命と直結する種目でより緊張感が高まる。海上に三角形状のコースロープが張られその周囲を泳ぐ。一つ目の頂点を目指し一斉に飛び込む。私はぶつかりを避け遅めにスタートするが鮭の遡上の如(ごと)く一点を目指しいや応なく体がぶつかり合う。体もほぐれ「スイミングハイ」となり一気に加速。ところが1時間経過し二つ目の頂点の通過後から泳げど泳げどゴールが近づかない…。3キロのスイムを終了。喜びも束の間トランジットを終えてバイクスタートとなる。

 3種目の中で一番苦手のバイクは155キロの長丁場だ。宮古島は平坦なようだが実際バイクで走るとかなりのアップダウンがあり更(さら)に強い向かい風に悩まされた。100キロすぎから調子に乗り東平安名崎から一気に駆け下りて終了。

 最後はフルマラソン、これからが本当の正念場だ。練習を積み重ねてきたとはいえ既に身体は疲労のピーク。一歩一歩先だけを見て走った。ところが折り返し地点から全く体が動かない。残り20キロで完全に開き直り飲食物をほうばった。それから奇跡の復活13時間52分歓喜のゴールを迎えた。計3回完走を果たしたがひとえに皆の支援の賜(たまもの)だ。
(西永浩士、名護特別支援学校長、県特別支援学校体育連盟会長)