<南風>翁長知事の決意、胸に刻む


社会
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 8月13日、沖縄国際大学に米軍普天間基地所属のヘリが墜落炎上してから14年が経(た)った。私も14年前のその日、会社の上司らと現場に駆け付けた。すでに米兵がテープを張り巡らし、大学関係者や市民、そして県警さえも排除するという異様な雰囲気だった。

 大破した大型ヘリ。衝突によって鉄筋がむき出しになり、黒焦げになった建物。近隣の民家や道路にもヘリの回転翼などが散乱。幸い民間人に負傷者は出なかったが、生後6カ月の赤ちゃんが寝ていた部屋にヘリの破片が飛びこんだとのニュースに驚いた。ヘリ墜落を目撃した家族からの電話で難を逃れたという。まさに奇跡だと思った。

 去る13日、宜野湾市役所前で開かれた市民集会に参加した。参加者の手には「子どもを守ろう」などのプラカード。ヘリ墜落の年に生まれたお子さんがいるという方から、「普天間第二小学校運動場に屋根付き避難所を設置するというが、運動場だけが危険なのでない」との訴えがあり、親御さんとしての強い思いが伝わってきた。宜野湾市在住の女性を中心にしたカマドゥー小たちの集いの「基地は県外へ!」の横断幕も掲げられていた。

 「複雑な思いだが、普天間基地の危険性除去には辺野古移設しかない」という声をしばしば聞く。

 先日『月刊琉球』のインタビューで、島田善次さん(普天間爆音訴訟団団長)にその意見について尋ねた。島田さんは「普天間基地から辺野古まで、ヘリでたった6分ですよ。辺野古に移したって宜野湾が安全になるわけではありません」と明快に答えてくださった。

 くしくも13日には、翁長知事の告別式が執り行われた。知事が存命中に実現できなかった「普天間飛行場の早期返還。辺野古新基地を絶対造らせない」という決意を多くの人が胸に刻んだ日でもあったと思う。
(照屋みどり、しまんちゅスクール代表)