<南風>1927年の夢


社会
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 昔から繰り返し見る夢がある。好況に沸く1927年のニューヨーク(NY)でひとり漠然とした不安を感じる夢だ。現実の私は1975年生まれでNYには行ったこともないのだが。

 最近になってその夢が十代の頃に読んだ「my lost city」の情景であることを思い出した。これはフィッツジェラルドが1932年に書いた回顧録だ。20年代の華やかなNYの生活を回想しつつもその後の大恐慌と作家としての凋落(ちょうらく)を予見したような描写となっている。村上春樹の邦訳も見事だった。

 精神分析を創設したフロイトは夢を窓口として初めて人間の「無意識」の領域に着目した。フロイトの後継者と期待されつつ決別したユングは、夢と無意識の解釈を広げた。彼は個人のみならず人々の「集合的無意識」があり、それは時として世界各地の神話や物語として表出すると考えた。これはあくまで仮説にすぎず、その後睡眠科学の進展により、夢の心理的解釈は非科学的とさえいわれた。しかし近年は夢を見るレム睡眠時に情動活動が活性化することも脳画像で明らかになり「明晰夢」を含めた夢の研究も再評価されつつある。

 都市は魅力と危うさも内包する。1900年代の欧州はベル・エポック(良き時代)と呼ばれた。ロンドンやパリでは現代の都市生活の原型が完成していた。爛熟した大衆消費社会は超高層ビルが林立する20年代のNYで最初の頂点を迎えた。「狂騒の20年代」と呼ばれた時代が「my lost city」を生み出した。

 第2次世界大戦が終結するとNYのコピーのような都市群が世界各地に出現した。私が住んでいた東京もその一つだ。「my lost city」は現代版「バベルの塔」とでも言うべきもので、都市の心象風景が「集合的無意識」として私の夢の中に再現されていたのかもしれない。
(普天間国博、嬉野が丘サマリヤ人病院 睡眠専門医・医学博士)