<南風>人権守り、権力にあらがう


社会
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 8月は関東にいた。猛暑にやられて、甲子園を見ていたら8月が終わってしまった。もう2018年も3分の2が過ぎてしまった。

 わたしも小学生から高校生までは野球をやっていた。12年間。今年36歳で、あれから18年が経った。ちょうど半分だ。誰もが言うことだが、時間の過ぎる速度の違いといったら!

 南米に行くと、「25歳くらいに見える」と言われて、喜んでいる自分がいる。でも、喜ぶということは、もう自分は若さに頼る歳ではないということを受け入れている、とも言える。

 演劇の作家・演出家として、そして若者として、ずっと、権力に盾突くようなつもりの作品を作ってきた。けれど、もう自分のことを若者として見る時間は終わったのだ。

 わたしは男性であり、舞台の演出家であり、キャリアもそこそこある30代後半のいいおっさんであり、それなりに権威のある賞を受賞もした。それは社会的に見て、微々たるものかもしれないが、しかし気づけばわたしは権力の側にどっぷりといるのである。稽古場で若い俳優たちと対等なつもりで話していても、オーディションを開いて、キャスト選考を「させていただいて」いても、自分が考えるよりずっと力が集まってきてしまうかもしれない。

 いい年したおっさんがセクハラ・パワハラの限りを尽くし、最後には開き直る、そんな気の滅入るニュースが今年に入っても続いて、でも自分だって連中とおなじポテンシャルを持っている。そんなふうに考えることにした。

 戯曲賞の授賞式にそのようなスピーチをしたら、そこまで自分を卑下しなくてもいいのではと言われた。

 その逆だ。権力を持つ自分を認めることで、自分より弱い立場の人の権利を守りより強大な権力にあらがうことを引き受けるのだ。そんな感じだ。
(神里雄大、作家・舞台演出家)