<南風>宮古島の思い出


社会
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 伊平屋島での離島生活の素晴らしさを知った後、沖縄本島で結婚しました。妻を誘い離島への赴任を決意し二人で行ったのが宮古島でした。これまでの離島生活の中で一番長く居住したのが宮古島での8年です。そこでもかけがえのない貴重な経験をしました。

 一つは前回のコラムで紹介したトライアスロンの完走。そして3人の子宝に恵まれたことです。子ども好きな宮古島の人々。幼い子どもを連れているだけで多くの島人から優しい声掛けを受けました。情熱的な人々と宮古ブルーの海と空に包まれスクスクと育った子どもたちは今年3人同時に大学に合格しました。沖縄、福岡、東京と場所は違えど、それぞれの夢に向かってまい進しています。

 宮古と言えば「おとーり」も切り離すことができない宮古ならではの貴重な文化体験だったと思います。

 「おとーり」とは宴の場で親となった者が口上を述べてグラスの泡盛を飲み干し、順次お酒を参加者に注ぎ、飲み干していくものです。参加者全員が親となり、延々と繰り返されるので、他地域から来た人にとっては度肝を抜かれることになります。職場での懇親会、PTA行事、子どもの保育園の保護者会、各種スポーツ大会後の慰労会等々。

 私も30代と若かった分、おそらく宮古在住の8年間で沖縄本島での一生分のお酒を酌み交わしたのではないかと思います。多くの思い出があります。丸々とした赤ちゃんだった長女を連れて行った東平安名崎。幼子3人とよく遊んだ盛加越公園に蝶(ちょう)が舞う宮古パラダイスの花園。夏のパイナガマビーチや与那覇前浜ビーチ。足を伸ばして、西平安名崎に池間島、来間島へも。それと伊良部島の佐和田の浜へも…。いつの日か、家族そろってあの宮古ブルーに輝く海と空、そして笑顔あふれる宮古島の人々に会いに行きたいと思います。
(西永浩士 名護特別支援学校長、県特別支援学校体育連盟会長)