<南風>県産三線の音色の響き夢見て


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 いたずらに馬齢を重ねた8月某日、思いがけない“誕生日プレゼント”が届きました。今年度のサントリー地域文化賞に「くるちの杜100年プロジェクト」が選ばれたとの発表。推薦者として沖縄局も関わっていただけに、これほどうれしい知らせはありませんでした。

 よく知られているように、三線の棹(さお)の材料となるクルチは今やほとんどが県外産。沖縄戦で多くが消失したことが原因です。県産の復活を目指して読谷村で苗木を育てようというのがプロジェクトの目的ですが、クルチは生育が遅く、三線に使えるようになるには百年かかるといわれます。

 この活動についての記事を初めて読んだ時、頭に浮かんだのが19年前のサミット取材で訪れたドイツのケルン大聖堂のこと。世界に名だたる大聖堂の建設は数百年がかりといいますから、欧州の人々は自分の生きているうちには完成しない壮大な事業に取り組んだことになります。これに匹敵するスケールの活動が沖縄でも行われていると知り、大いに共感しました。植えられたクルチはこれまでに約3千本。毎月草刈りが行われていると聞き、何度か参加しました。数十人のボランティアの人たちが手際よく雑草を刈っていく中、私はといえば、鎌を手にしたのも何年ぶりのことか(職業柄、鎌をかけることはしょっちゅうですが)。足手まといになりながらも充実感だけは人一倍でした。

 活動を支える力となっているのは、発起人の宮沢和史さんが紹介されていたある賛同者の言葉かもしれません。「育てたクルチが百年後に三線になるなら、それは沖縄で百年間、戦争がなかったということ」。再び県産の三線の音色が響くその日が来ることを信じて、息の長い取り組みが続きます。
(傍田賢治、NHK沖縄放送局局長)