<南風>選挙でリーダー選ぶ


社会
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 私はマッチョが嫌いだ。といっても、筋肉ムキムキの男性が嫌いというわけではない。男性優位主義的なマッチョイズムが嫌いなのである。

 以前、ある研修会に参加した。講師は、地域おこしのカリスマと呼ばれる人物で、その講演は圧巻だった。地域課題に対する多様な取り組みや住民の巻き込み方などをユーモアたっぷりに話し、会場を魅了した。

 研修終了後、懇親会があった。3次会にもなると、講師も酔いが回ったせいか、居酒屋の店員に冗談交じりで絡みながら気前良くチップを渡したり、目の前に座ったノリのいい女性にセクハラ発言を連発したりした。その様子を見て、「昭和か」とツッコミたくなった。(昭和のリーダーは、豪快で魅力的だが、人権意識が希薄なイメージがある)

 楽しい話題に紛れたセクハラ発言に、なんとなく居心地の悪さを感じていたが、周りは気にしていないようだ。会が終わって、発言を受けていた女性に声を掛けると、「楽しかったし全然気にしていない」とのこと。私が過敏なのか、それともこのような場面は日常的すぎて、いちいち気にしていられないということなのか。

 昨今のニュースでは、ハラスメントが話題になることが多い。力のあるものが弱いものに対して振るう暴力。しかし、当事者はその暴力性を自覚していない場合も多いようだ。

 もうすぐ平成の次の時代が来る。価値観が多様化し、地域課題が複雑化、格差も広がる時代にあって、弱いものを思いやれる想像力と多様な意見を受け入れる傾聴力、そしてそれを調整する力を持った人こそが求められるだろう。強いリーダーに全てを委任する時代から一人一人が考え行動する時代に転換する必要がある。だからこそ、選挙では責任を持って適したリーダーを選びたい。
(宮城潤、那覇市若狭公民館館長)