<南風>「海は畑」


社会
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 「おばーが笑って V」という週刊レキオの連載があった。やがてそれは本にまとめられた。第1集の表紙に祖母の笑顔がある。

 祖母は生前、辺野古でまちやーぐわー(雑貨店)を営んでいた。両親は共働きだったので、私と妹はよく祖母の家に預けられた。

 祖母は福島県出身。東京で伊江島出身の祖父と出会った。東京大空襲で家を焼かれ、栃木で疎開生活をし、戦後すぐの沖縄に一家で来た。祖父は「沖縄はいいところだよ。暖かい沖縄なら家族9人なんとか暮らしていける」と言ったそうだ。

 のちに祖母も「おじいさんの言う通りなんとか暮らせた。海があったからね」と話していた。雪国育ちの祖母にとって沖縄はどう映ったのだろう。祖母は「海は畑のようだよ。魚もサザエやタコもいっぱいいたよ」と言っていた。

 祖母の入院中、主治医にお願いして一度だけ辺野古へ連れて行けた。車の後部座席を倒して布団を敷き、祖母を寝かせた。そして静かに自動車道を急いだ。

 砂浜ギリギリに車を停(と)めた。祖母は横になったままではあったが、確かに辺野古の浜で青い海を見た。いつにも増して青く穏やかな海だった。

 その海を埋め立てて軍事基地を造るという。普天間の危険性除去のための新基地建設だそうだ。おかしな話だ。危険性除去なら基地を閉鎖すればいいはずだ。

 新しい基地は軍用飛行場と軍港の機能を併せもった複合機能基地で耐用年数は200年だという。米軍基地が集中している沖縄にこれ以上基地はいらない。

 ある日、ドライブがてら祖母を訪ねると「もうお客は来ないだろうから海に行こうかね」と言ってお店の戸締まりをはじめた。

 一緒に浜へ向かって歩いた小道は、今もあの頃のままだ。波の音の合間に祖母の明るい声が聞こえてくるようだ。「海は畑だよ」
(新川美千代、切り紙作家)