<南風>旅先で髪を切る


社会
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 いまロンドンに来ている。2015年に発表した「+51 アビアシオン,サンボルハ」という戯曲を、ロンドンの劇団が朗読の上演してくれるというのでやって来た。

 2013年に十数年ぶりに沖縄を訪ね、那覇や名護や大宜味の親戚に会い、大宜味のお墓参りをしたこと、50数年前に大宜味からペルーに移住した祖母を訪ねて20年ぶりにペルー・リマへ行ったこと、そのときの滞在経験、そしてそのとき読んでいた、メキシコに亡命することになってしまった日本人演出家の本などを参考に、この戯曲を書いた。

 これをわたしのごく個人的な、自分探しの戯曲というふうに捉える人も時折いるけれど、わたし自身はそうは考えていない。東京と沖縄の距離感や温度差のこと、それから日本とペルーの距離、そしてかの地で暮らす、日系・沖縄系移民たちの様子を通じて、人がさまざまな境界を越えて移動することで、「中心」も同じく移動していく、ということを書いたつもりだ。あたりまえのことだが、その人が現在いるところが、その人にとっての現在の中心地になるのだ。世の中で言われている中心を気にすることよりも、それぞれの人に中心があると考えること、それを想像力と呼ぶのではないだろうか。

 ところで、ロンドンで最初にすることにしたのは、床屋に行って髪を切ること。せっかくこの地にいるのだから、自分の見た目をこの地の感覚で変えてもらおうというわけだ。「いい感じにして」と理髪師からすれば面倒なお願いをして、ああだこうだ会話しながら、知らない人に髪を切ってもらう感覚を楽しんだ。

 7月にインドネシアに行ったときも床屋に行った。訪ねた先でいちいち髪を切るということが、自分のちょっとした趣味みたいになっている。

(神里雄大、作家・舞台演出家)