<南風>カナダ研修とホームステイ


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 私にはひとつの願望がありました。それは「一度沖縄を離れて生活し他の文化に触れてみたい」ということです。沖縄に生まれ育ち、大学に就職とすべて県内でした。チャンスが巡ってきたのが1997年カナダへの2カ月の研修です。文部省(当時)の主催する「若手教員海外派遣事業」として、日本全国から集まった35歳以下の教員を対象にアメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリスに分かれて行う2カ月間の研修でした。うち1カ月はホームステイが含まれていて、派遣先がカナダだったのです。

 私のグループは、北は秋田から九州沖縄までの21人で構成され学校種はさまざまでした。年齢が近く筑波での事前研修を終え成田から飛び立つ頃には皆とも打ち解け、初の海外研修とあって心は弾んでいました。

 9月下旬のバンクーバーはまだ夏の陽光が眩(まぶ)しく暖かでした。1週間の語学研修後、さらに四つのグループに分かれてホームステイ先へと向かいました。バンクーバーからさらに北へ。小さなプロペラ機が着いたのは、ケネルという昔ゴールドラッシュで沸いた小さな町でした。

 北海道白老町と友好都市を結んでいて、私たち5人を大変歓迎してくれました。私のホームステイ先は、43歳の若い校長先生宅で、料理上手な奥さんに2人の娘と祖母5人の理想的な家庭で1カ月を過ごしました。

 私は、そこを拠点に校長先生の勤務する小学校へ校長運転の日本車で通いました。季節はカナダの国旗となっているメイプルが色づく秋を迎えて木々の色が変化し、町を去る頃には初雪もありました。自宅近くの川ではサーモンの遡上(そじょう)が見られ、別の湖では野生のビーバーとの遭遇もありました。私は持参したパーランクーとエイサーの衣装をカナダの子供たちに着せて「沖縄文化」の授業も行いました。詳しくは次回コラムで。
(西永浩士 名護特別支援学校長、県特別支援学校体育連盟会長)