<南風>沖縄軽視と差別


社会
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 久々に、フロート(浮具)の無い辺野古の海を見た。県の埋め立て承認撤回によって辺野古新基地建設工事がストップし、広範囲に設置されていた禍(まが)禍(まが)しいオレンジ色のフロートが取り除かれた。大浦湾はようやく大きく息ができたという風情だった。

 石破茂元防衛大臣が、自身のホームページで「沖縄に基地が集中しているのは、反基地運動が燃え盛ることを恐れた日本と米国が多くの海兵隊部隊を沖縄に移したから」と語ったり、後にその発言を削除したりして話題になっている。

 石破氏を見るたびに、新基地建設容認に転じた5人の沖縄関係自民党議員を見せしめのように同席させた2013年の記者会見を思い出す人は少なくないと思う。あの姿は、私たち沖縄人が被植民者だということを視覚的に明確にした。

 沖縄の基地の過重負担は、地理的優位性とか抑止力とかいうことで正当化されてきた。

 だが、首相の「移設先となる本土の理解が得られない」(2月、衆院予算委)との発言や、今回の石破発言で、その理由が軍事的なものではなくヤマトの人々の反基地感情という政治的なものだということが明らかになってきた。

 真実が明らかになることはいいことだと思う。ただ、彼らの発言は「本土が嫌だと言ってるんだから沖縄が引き受けるべきだ」という開き直りにも聞こえてしまう。政治的理由だということを隠す必要すら無くなってきているのではないか。オブラートに包んできた基地の受け入れと振興策のリンク論についてもしかり。

 あからさまになる差別・軽視を見ていると、このままでは、沖縄はまたいつか「捨て石」にされるのでは、と不安になる。ヤマトに都合のいい沖縄になるのではなく、沖縄の主体性を大切にすることが一層重要になっていると思う。

(照屋みどり、しまんちゅスクール代表)