<南風>危機から10年


社会
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 米国で「失われた世代」といえば1920年代に活躍したヘミングウェイなどの作家群を指すが、日本では平成の就職氷河期世代を指す言葉だ。97年の金融危機は当時、一経済学部の学生だった私にも相当なインパクトがあった。当初は金融機関に就職を考えていたが、山一、拓銀、長銀の相次ぐ破綻を目にして日本経済の長期停滞を予感し、琉大医学部に進路を変更した。

 お金の流れはよく血液の流れに例えられる。経済と医学を学んで、景気循環と気分障害の機序も似ていると思った。躁うつ病では気分の波が高くなるほど、その後に続く抑うつも深いものとなる。景気も過熱してバブルが大きくなるほど、弾けた後の不況も深いものとなる。処方箋となる金融政策はやり方次第で毒にも薬にもなる。

 「大企業に入れば一生安泰」というのは昭和の幻想だった。1980年代の日本経済はすでに構造的な問題を抱えていた。日本の製造業の国際競争力は自国通貨安と低賃金を前提としていた。本来なら85年にプラザ合意が決まった時、より高い付加価値を生み出す産業構造へ転換を進めるべきだった。しかし構造改革は先送りしたまま不適切な景気刺激策で空前の資産バブルを招いた。これは旧大蔵省や日銀の失策だけでなくバブルに踊った企業や国民にも怠慢があったと思う。

 近年の米国の景気循環は約10年の周期で緩和バブルを繰り返している。危機のたびに大規模な金融緩和を行い、引き締めが遅れると次なるバブルの源となる。現在の米国の景気拡大は戦後最長の10年目を迎えつつあるが、もってあと数年だろう。景気後退の指標となる長短金利差は逆転に向けて縮小し、新興国では既に資金の流出が始まっている。次の危機の引き金を引くのは米中の貿易戦争か、各国の債務拡大か、それとも世界にくすぶる地政学リスクであろうか。
(普天間国博、嬉野が丘サマリヤ人病院 睡眠専門医・医学博士)