<南風>社会について話し合う


社会
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 「政治・宗教・野球の話はするな」。誰が言ったかは知らないが、飲みの席での経験上、そういうところがあると感じる。でもわたしはむしろ、飲み屋でほかに話すことなど何があるだろうかくらいに考えている(野球はともかくとして)。宗教・政治とは、そのまま世の中のことではないか。

 いっしょに話している相手の神様は誰なのか、何なのかとか、信仰心についての距離感とかを聞き、わたしも同じことを話してお互いのことを知る。住んでいる社会のことを話し合う。そうしてお互いが同じ時代を生きていることを確認する。そこに対立や憎み合いはなくていい。それこそが本当の意味での「政治」なのではないだろうか。

 そういう話をすることで、知らなかったことを知り、お互いにとって新しい発見があるかもしれないというのが私の大事な経験だ。

 ところで、昨今の日本の政治家の態度や政権のやり方は、私には好ましいものではないと感じられる。国民もなんとなくそれを受け入れてしまっているように思う。「長いものには巻かれよ」「大は小を兼ねる」「喉元過ぎれば熱さを忘れる」みたいな言葉を、悪い意味で浮かべてしまう。

 違う意見をただ排除するだけの世界。その強いうねりに、私たちの社会はのみ込まれてしまうのではないか。たとえば、選挙の結果がどうであれ、個々人がどうであれ、止めることはできないのかもしれない、とも感じている。

 だからこそ、私は他人の信仰心を知りたがり、自分たちの社会がこれからどうなっていったらいいと思うのか意見を交わしていきたいと思う。繰り返しになるが、そこに対立は要らない。違う意見に怒らない、殴らない。

 それが、大きなうねりに自分を変えられないための、ひとつの方法になるのではないだろうか。
(神里雄大、作家・舞台演出家)