<南風>ホーチミンの日本人学校へ

 日本人学校は海外に住む日本人の主に義務教育段階の子女を対象とした学校で、現地の日本人会等が設置し文部科学省を通して全国の教員の中から選考を経て派遣される。51カ国89校を数える。

 私は2006年から2年間ベトナムのホーチミン日本人学校へ赴任した。赴任に際し妻は一旦仕事を退職し浦添小学校に在籍していた子ども3人を伴い、太陽光が燦々(さんさん)と降り注ぐ4月初旬、同国南部の商業都市ホーチミン・タンソンニャット空港へ降り立った。家族を伴う初めての海外生活は一つの冒険であったが、多くの貴重な経験を重ねた。

 赴任前、「ベトナム戦争」のイメージが頭をよぎり不安な気持ちを隠せなかった。しかしその思いは時を待たずに消えていった。ベトナムの人々は、気さくで親しみやすかった。沖縄との共通点も多くあった。

 生活は旧暦との結びつきが強く、豚肉を好んで食し、生鮮市場の風景は、牧志の公設市場の雰囲気と変わらなかった。売られている食材も南国の野菜や果物が豊富であった。驚いたのは、肥沃(ひよく)な大地メコンデルタを有するため、安価で、これまでに目にしたこともない品々に溢(あふ)れていたことだった。ホーチミン日本人学校は、小中学校の併設で児童生徒数220人教職員26人程度の小規模校であった。

 私は小学部の1年生の担任となり、併せて中学部の保健体育とテニス部の指導も行った。子ども3人は同じ学校へスクールバスで通学した。日本人学校へ通う子どもの父親の多くは、世界に進出する現地の日本企業に勤務し、学校への期待は大きかった。

 学校はグローバルに活躍できる人材の育成を視野に低学年から英語の授業を実施。私はパーランクーと同じ大きさと形のベトナム太鼓を見つけ、それを使い運動会で小学部児童によるエイサーを披露できた。
(西永浩士 名護特別支援学校長、県特別支援学校体育連盟会長)