<南風>未知との遭遇


社会
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 私は朝時間があるときはランニングをするようにしています。運動は得意なほうではなく、特に走ることは嫌いで、小学校のマラソン大会ではいつも後ろから2番目の順位。走っているのを見られること自体が恥ずかしく感じていました。しかし、高校を卒業して音楽活動を本格的にスタートすると、ライブの本数や演奏時間が増え、遠征移動などが多くなってきました。他の仕事と同じく体力勝負ということを知り、ランニングを始めました。

 最初は家の近くにある1周1キロの公園に行きました。初日は5周、次の日は4周、その次の日は3周。このままだと三日坊主になりそうだったので違う公園に行くことにしました。すると9キロも走れたのです。新しい景色に気を取られているうちに疲れることもなく走り終えているのがうれしくて、その時から日替わりで走る道や公園を変えていこうと決めました。気分が良いときは迷子になるのを覚悟して知らない道を走り冒険することもあります。今回の原稿のテーマは首里から瀬長島まで行ってみようと思いついて走っているときに決めました。

 「なぜ走るのが苦手なのにこんなに走れているんだろう」と考えていたときに浮かんだ言葉は「未知」でした。未知の向こうには瀬長島の青い空と海があり、私に達成感と次はどこへ行こうかと好奇心を抱かせました。

 知らない道はどこまででも走れる。見たことのない景色を駆け抜け、自分がどこにいるのかもわからないほど夢中になれば、気付いたときには想像以上に遠くまで来ていることもある。

 音楽の世界も同じく「未知」で「不確定」で中々答えとゴールが見えない世界。大好きな音楽で、歩き続けた結果、走っているときと同じように見たこともない景色に遭遇することを楽しみに今日も頑張ってます。
(Anly、シンガーソングライター)