<南風>明治維新150年と沖縄


社会
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 高速道路のサービスエリアの売店を利用した際、「明治維新150年スタンプラリー」のポスターが目に入り、戸惑いを覚えた。大河ドラマの影響もあり、鹿児島県が祝賀ムードだということは聞いていたが、沖縄にまで影響が…。

 鹿児島県の様子について、シンポジウム「琉球・沖縄にとって明治維新150年とは何か―日本『復帰』50年を前に」(主催・「命どぅ宝! 琉球の自己決定権の会」)で、松島泰勝さん(龍谷大学教授)からお話を聞く機会があった。(「月刊琉球」7・8月号で同講演録を掲載)

 松島さんが講義のために鹿児島県を訪れたところ、のぼりなどが溢(あふ)れ、街全体が「明治維新の中心・鹿児島県」をアピールしていたそうだ。

 公立の資料館を見学すると、薩摩出身の軍人を紹介するコーナーなどがあったという。また、「薩摩藩の海外展望」の説明文には、「表面的には琉球王国は独立した形で存続し、琉球を通じて薩摩藩は中国(明・清)との交易を図った。(中略)薩摩藩は長崎以外のルートとして中国からの貴重な事物や情報を得、明治維新への活躍に役立てることができた」などの記述があり、琉球国の存在が否定されていたそうだ。

 松島さんは、明治維新150年「祭り」によって帝国主義を再評価するという歴史修正主義に危機感を覚えたと報告した。

 同シンポでは、高良勉さん(詩人)も、琉球弧が明治維新を「マンガタミー(丸抱え)」させられたと指摘していたが、鹿児島の資料館にはそのような歴史認識は無さそうだ。

 10月23日の政府主催「明治維新150年記念式典」の首相式辞では、植民地主義や戦争への反省が無いまま、「国難」という言葉が使われた。辺野古新基地建設や自衛隊配備の強行と通じるものを感じる。
(照屋みどり、しまんちゅスクール代表)