<南風>外国文化への憧れ…


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 先日、南米のチリから友人が来ていたので、飲んだ。そこで話題になったのが、日本ではなぜ建物に名前をつけるのかということ。アパートやマンションには、コーポ◯◯とか、◯◯レジデンスとか、全国どこでもそんな名前がついている。

 というのも、たとえばわたしが去年いたアルゼンチンでは、基本的に建物に名前はなかった。どの通りにも必ず名前がついていて、その通りに沿って、建物に番号が振られているので、住所が容易にわかる。だから、マンション名がなくても問題なかった。これはヨーロッパなどでも同じだ。

 一方、日本では、◯丁目◯番地というように、住所からすぐにその建物がどこにあるかがわからない。京都や札幌などは少々異なるが。外国からのゲストが来るたび、日本人はどうやって目的地を知るんだ、という質問を受ける。そんな事情もあって、マンションに名前がついているのかもしれない。

 もしかすると、そもそも名付けるのが好きなのかもしれない。東京(に限らずだが)の地下鉄は、半蔵門線だとか大江戸線だとか、住んでいない人には不親切な名称がついていて区別がつきにくい(ので最近は駅ナンバリングが導入された)。でも、名前があることで愛着がわくのも確かだ。

 これが外国に行くと地下鉄1号線とかB線とか、番号や数字が振られることが多いので、どの路線に乗ればいいかがわかりやすい。けれど無機質な印象を受ける、と言うこともできる。

 生き物以外にも愛着を感じられる、という文化によるものかもしれない。

 それにしても、とチリ人は言った。「なんで、変な外国語で名付けられていることが多いの」

 たしかに恥ずかしくなっちゃうようなネーミングも多い。最近だと山手線の新駅とか。え、えーと、外国文化への憧(あこが)れかな…。
(神里雄大、作家・舞台演出家)