<南風>キルシャンティの言葉


社会
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 キルシャンティは流ちょうな日本語でこう言った。

 「母国語でこの小説『ヤシと雪』を書いたら私は命を落とすかもしれない。でも日本語で書けば母国の歴史はここに刻まれる。国内では記録されなくてもなかったことにはならない」

 キルシャンティ、それはスリランカではポピュラーな名前だという。私が出会ったキルシャンティは、第6回留学生文学賞の受賞者だ。その賞は外国人留学生のための日本語文学新人賞で、芥川賞の候補になった作品もある。第8回を最後に幕を閉じたが、作品は電子本として残っている。

 私は事務局で副賞の沖縄ツアーの担当だった。受賞者たちを案内して、観光地はもちろん普天間や辺野古の浜へも足を運んだ。

 「ヤシと雪」は、日本に留学しているスリランカ人の主人公が、友達になった日本人の女子大学生に聞かれて話せなかった家族の話をつづっている。主人公はマイノリティーであるタミル人でスリランカで起こった民族紛争に翻弄(ほんろう)された。

 1987年、スリランカにインド軍が平和維持部隊として入ってきた時、父親を亡くし、92年の空襲で兄を失った。そして、95年、政府軍が反政府軍の支配地域を攻撃する中で、姉が暴行され殺された。主人公は反政府ゲリラに入り、政府軍と戦った。和平が成立し、主人公は、留学生として来日しアルバイトをしながら母親に送金をしている。

 「ヤシと雪」は、どこからどこまでがフィクションなのか、わからない。キルシャンティは、その問いに答えることはなかった。キルシャンティという名は仮名だ。授賞式には代理人が出席し、記念写真に姿はない。しかし彼は他の受賞者とともに沖縄に来た。

 それぞれの故郷や沖縄について語り合う中で、彼はこう繰り返した。「どんな状況であっても、僕らは決して諦めてはいけない」
(新川美千代、切り紙作家)