<南風>唯一無二の作に思いはせ


社会
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 2016年夏に読谷村長浜に自らの工房を造り2年たった。海まで歩いて数十秒。その脇には保育園、線香工場がある。ギャラリーと言えるような場はなく、単なる作業場でしかないのだが、そんな場所が私の工房である。

 昨年は沖縄県立芸術大学に新設された登り窯、読谷山焼登り窯、恩納村にある穴窯の手伝いをさせていただいた。薪(まき)窯に関わることが多かった。窯には、電気、ガス、灯油、薪と種類がある。その中でも最も原始的で、操作性が難しく一筋縄にいかないのが薪窯である。逆に魅力でもあり、今回はその時の話を紹介したい。

 薪での窯焚きは複数人で協力し合わなければならず、数日を要し泊まり込みは必至だ。2、3日は家を空けることもある。その日の温度や湿度、風、薪の具合で火の状況が違う。そのの状況で窯の中は表情を変えていく。交代で炎の様子を見ながら、自分の経験と勘で薪や空気を送り込み、窯の中の温度を調節していくが、火の持つ力に人間は到底及ばない。物すごい圧力だ。

 窯のそばは暑く、脱水状態。睡眠不足も相まって意識朦朧(もうろう)としながらの作業である。そして温度が下がり、数日後に窯出しをして初めて焼き上がったものと対面する。自然の力を借りた薪窯から生み出されたものは、自然の工程であるが故不均一で、自然現象でできたものに近い。同じものを作ろうと思っても、まったく同じものは作ることができない。

 自然が美しいと感じるのと同じように、その質感、表情、唯一無二のような存在自体を私は美しいと感じている。自然とそこにあり持ち帰りたくなるようなきれいな石、不思議な石、かっこいい石。そんな石に近いものを作りたくて私は今日も土をこねている。
(山本憲卓、陶芸家)