<南風>辺戸大川お水取り


社会
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 「ポン ポン ポン」。静かなやんばるの村落に太鼓の音が響き渡る。琉球王朝時代、元旦に国王が国の繁栄を願う年始行事に使う水を献上する儀式の再現「首里城お水取り行事」が年末、国頭村辺戸であった。木々の生い茂る山道を首里から遣わされた役人たちの行列が辺戸大川に向かってゆっくりと進む。神聖な空気の中で清らかな水をくみ儀式は滞りなく行われた。

 首里城お水取り行事は、1998(平成10)年に120年余の時を超えて復活し、今年で20回目を数えた。残念ながら、首里から使者が派遣され、水を首里城に持ち帰る儀式は今年限りとなったが、新しく年号がかわる今後も辺戸区の人々によって辺戸大川のお水取りは続けられることがわかり安堵(あんど)した。

 首里城のお膝元である当蔵町自治会と辺戸区の交流をこれまでどおり続け文化を継承しようと、お水取り後、セレモニーが行われた。記念に辺戸区からお水取りの壺を、当蔵町自治会からは、当蔵の旗頭に旗字されている「中山第一」の拓本を掛け軸にしたものが互いに贈られた。「中山」とは、首里城、「第一」は首里城に湧く『龍樋』のことである。

 琉球王朝時代、中国との交流を後世に伝え、滞在中お世話になった龍樋の水に感謝の気持ちを込めて、冊封使より贈られた7基の石碑(冊封七碑)。そのひとつに刻まれたこの言葉には、龍樋の水は量も質も中山一であるという意味が込められている。

 当蔵青年会の旗頭の奉納が辺戸のあすむいの元で行われた。「サァサァサァ」の掛け声とともに中山第一の旗頭が勢いよく湧き出る水のように力強く宙を舞う。爆竹の音が響く。いつまでも見ていたい美しい光景。

 半年間、湧き水の風景をつたない文章ですがつづってみたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
(ぐしともこ、湧き水fun倶楽部代表)