<南風>三線支店長


社会
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 連載ということで隔週、6カ月も筆が続くだろうかという不安に駆られながら初回は何を書こうかと迷っている師走某日。立場としては、情報通信は今…と書き出すのが筋であるが、今ひとつ硬いのではと考えあぐねていたら、正月掲載ということで個人的な旬ネタならと思い直したところ、するすると書き出せた。

 それは、元旦にテレビ放映予定の某民謡大会に参加したという話。これまで幾度となくヤマトンチュが元旦から酒のさかなになるという風に冷やかされた、その収録日がとうとう12月某日にやってきたのである。弊社は代々、支店長の引き継ぎ事項になるくらい昔から参加させていただいているので、1年半前に前任から引き継いだ時は、魅力あふれる沖縄に赴任ということで高揚していた気分が、これで一気に青ざめたことを覚えている。

 脳裏に浮かぶのは、京都支店で私が課長に成りたてのころ、支店長が三味線を習い、文化ホールの類で堂々と演奏していた姿。三味線支店長の愛称で社内では有名になった。まさか自分がこういう事になろうとは夢にも思わなかった。

 ちなみに三味線支店長は、その後、社長に登り詰めた大人物である。芸は身を助けるのか。義務的な背景から手習いを始めた唄三線であるが、今ではすっかり三線のとりこである。耳にすれば即座に沖縄の風景が浮かぶ、味わいのある音色。琴線に触れるとはまさにこの感覚から派生したのではないか。アップテンポな曲では肝(ちむ)どんどん。ゆっくりポロポロと弾けば、沖縄の原風景が広がる。大会は終わったが、いくつもの表情を奏でる三線を今後も趣味として続けたい自分にいつの間にか変わっていた。

 ありがとう沖縄。次号からも個人的なエピソードと、本業である情報通信のトピックなどを、織り交ぜながらつづっていきたい。

(畔上修一、NTT西日本沖縄支店長)