<南風>壁の中の少年


社会
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 少年は壁の中にいた。壁といっても、少年の内面的なモノで、目に見えるわけでも、直接触れることもできないのに、確かに存在し、どこへ行ってもついてきた。

 壁は少年の四方を囲み、少年以外の人間との間を隔てた。壁とは…。少年の家はあまり裕福ではなく、もとより気を使う性格が強かったせいもあり、子供なりの「遠慮」が徐々に見えない壁となっていった。壁の中で、少年は常に息苦しさを感じながらも、壁の外に出ることはなかった。家族という存在は、時に少年の内面を食い散らかす野犬のようにその感性を引き裂くこともあった。強い否定を受けないように、いわれのないレッテルを貼られないように、必死に壁を利用して自分の思考を、感情をひた隠しにした。自分を守るため。けんか? ある日、少年は異様な光景を目にした。ブラウン管の向こう側で、男二人が大声で怒鳴り合っていた。それを見ていた大勢は、二人を止めようともせず、ゲラゲラ笑っていた。中央に一本のマイクを挟み、大の大人が激しく言い争い、時には頭をたたき、押し倒し。

 少年は不思議でならなかった。男二人は横山やすし・西川きよしという名前だった。彼らの口論に耳を傾けているうちに少年も壁の中で静かに笑っていた。それが、少年と「漫才」の出会いだった。マイクを挟んで言い争う人たちを漫才師と呼び、漫才師は次々と登場した。オール阪神・巨人、今いくよ・くるよ、B&B、若井小づえ・みどり、宮川大助・花子。いつしか壁の中は少年の笑う場所となった。あれから30年。箱の中の少年は、大衆の前でかつてけんかと思ったあの大人のように「漫才」をしていた。舞台照明はまぶしくも温かく、笑い声は心地よい周波数で少年の耳に届いた。

 そこに壁は存在しなかった。あの時の少年こそ、私である。
(上原圭太、漫才コンビ・プロパン7)