<南風>東京でのめざめ


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 ゾーカリウラマス。ナァ。バヤァイツーマイガンズゥガンズゥムヌ。皆さんお元気ですか。私はいつも元気です。人前で歌うようになったきっかけは高校卒業後上京したことで訪れました。環境が大きく変わり、標準語もままならず無口になり自分を出せずにいましたが、宮古なまりを笑われてもいいさいがと開き直ってからは本領発揮。友人に恵まれ一生の友もできました。社会人になって標準語も次第に慣れ、歩くのも宮古時代の2倍速。すっかり都会に順応していましたが、何かが足りないと感じていました。ある日、東京の沖縄料理屋で聞こえてきた三線の音色が心を強く打ち故郷への思いがめぐりました。離れてみて気付いた沖縄文化の素晴らしさ。沖縄が恋しくて東京や鶴見の沖縄県人会の集まりに行くようになり、空手や琉球舞踊の余興を見て私も地元の芸能に触れてみようと思い、なじみのある宮古民謡の勉強を始めました。宮古民謡コンクールを受験した際、平良重信先生に声がいいから歌を続けなさいと褒めていただいたことでモチベーションが上がりました。

 月日が流れ沖縄に帰るきっかけを探していた時、母から電話がきて「本島で歌手オーディション開催と新聞に募集記事が載っているから挑戦してみたら」と言われました。それもいいかもしれないと、童神を歌った音源を送りオーディションを受け3次審査まで合格。その後すぐに新宿の自宅の荷物をまとめ那覇へ引っ越して音楽活動が始まりました。人生の転機はいつ訪れるか分からない。

 好きな言葉。明珠在掌。価値あるもの(宝物)は探さずともすでに自分の手のひらにある。成長させてくれ、宝物に気付くために必要だった貴重な東京生活。関東で出会った友人、お世話になった皆さまに心から感謝いたします。
(HIRARA(ひらら)宮古島出身歌手)