<南風>情報公開


社会
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 着任の翌日、沖縄大学の佐久川政一学長へのインタビュー取材が沖縄での最初の仕事でした。

 テーマは情報公開。海上自衛隊が那覇基地に建設していた対潜水艦戦作戦センターをめぐり、建築基準法に基づいて那覇市に提出された図面を、市の情報公開条例に従って請求者に公開するのか。当時の親泊康晴市長の判断が注目されていました。

 いきなりの取材にとまどいもありましたが、対潜水艦作戦については予備知識がありました。初任地の青森県八戸市で海上自衛隊を取材していたからです。その頃は米ソ冷戦の真っ只中。八戸基地には対潜哨戒機P2Jが配備されていて、気象庁からの委託で行っていた流氷観測に単独同乗取材して、オホーツク海の奥深くまで飛んだこともありました。

 那覇防衛施設局は軍事機密だとして公開に反対していました。自衛隊に直接聞いてみたいと思い、那覇基地に電話したところ「マスコミ対応は年2回だけ」と取り付く島もありません。そこで八戸時代の自衛隊幹部を通じて紹介されたのが那覇基地の司令部に異動してきた仲摩徹彌さんでした。対潜哨戒機P3Cのパイロットも経験した対潜水艦戦の専門家です。

 取材の意図を話したところ、仲摩さんから返ってきたのは「あんなもの秘密ではありません。どんどん書いてください」との答え。背広組が聞いたら驚いたと思います。仲摩さんはその後も何度かお会いしましたが、いつも明快な姿勢でした。自衛隊退職後、経営不振に陥った第一ホテルの再建に尽くされ、5年前に亡くなりました。

 親泊市長の公開決定に対して、国は裁判に訴えましたが、全面的な敗訴に終わりました。国側のちぐはぐな対応が招いた結果だと思います。
(繁竹治顕、九州国立博物館 振興財団専務理事)