<南風>「地産地笑」


社会
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 2019年1月2日、僕は、女性モノの喪服を着ていた。というのも、沖縄のお笑いコンテスト番組にて、僕が所属しているお笑いコンビ「プロパン7」がやったコントが告別式を題材としたネタだったからだ。

 僕らは参列した沖縄のおばちゃんを演じたが、その内容はそれほど脚色されたものではなく、実体験を基に描かれたものであった。告別式会場で号泣したかと思えば、携帯で息子とご飯の話で大声でもめる。まさに僕の母がモデルの話であった。

 意識的に創り上げてきたものではないが、いつの間にか僕らの漫才やコントのネタの題材は沖縄がテーマとなったものが多くなっていた。そんな沖縄スタイルに強く影響を与えたのはもちろん、笑築過激団。沖縄のお笑いというものに出会ったのは小学5、6年生の頃。テレビで見た我喜屋良光&藤木勇人の警察VS酔っ払いの取り調べコントであった。普段テレビで見ている漫才やコントとは何かが違う。「なんだ?」と不思議に思いながらも、ゲラゲラ笑わされた記憶がある。それが普段の生活で耳にするイントネーションやワードで繰り広げられる沖縄のお笑いであった。

 ドリフターズやコント55号、ビートたけしや明石家さんまなどの笑いとは明らかに異質の、DNAの底から湧き出るような笑いがそこにはあった。我喜屋良光、藤木勇人、フーチバー親方&ゴーヤージラー、川満しぇんしぇに泉&やよい、ゆうりきや~、津波信一…いわゆる笑築過激団によるコント番組「お笑いポーポー」をリアルタイムで見ていた僕らはまるで何かに感染したかのように沖縄のお笑いに取り込まれていった。沖縄の人や物、言葉や発音、独特の間を使って繰り広げられる沖縄のお笑い。僕らプロパン7が笑築から得たスタイルはまさに「地産地笑」という笑いであった。
(上原圭太、漫才コンビ・プロパン7)