<南風>私の青春は今


社会
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 青春については、いろいろと書かれたり語られたりしている。故松下幸之助氏は「青春とは心の若さであり、信念と希望と勇気にみちて日々新たな活動を続ける限り、青春は永遠にその人のものである」との言葉を残されている。

 もちろん私も共感はできるが、なかなか現実は厳しい。障害のため社会で生きるには多くの壁があり、それに挑戦することが私の青春のすべてであった。

 広島にいた頃、障害者運動の仲間たちとよくお好み焼き屋に行っていた。手が効かない私は、カウンターを前に足で食べていたのを思い出す。広島のお好み焼きは私の青春のなごりで、今も大好物である。

 その頃の私は原爆についての認識や疑問もなく、ただ障害者に生きる権利を、とのみ叫び、闘いの明け暮れだった。

 運動の仲間にKさんという方がおられた。彼女の顔にはケロイドがあった。彼女の家族まで原爆で失っていたことを、後で私は知った。

 原爆による痛みと重い障害とに耐え苦しみながら懸命に生きようとしていた、今は亡きKさんを想う。人類を滅ぼすほどの威力を持つ原爆や原発はいらない、もう作ってはならないのだ。

 前々回のコラムの繰り返しになるが、先月、中村敦夫氏に会った。彼はニュースキャスターだった時に原発事故のあったチェルノブイリに取材に行き、その惨状を見たのを機に「ノー原発」を掲げるようになった。その後、朗読劇「線量計が鳴る」を上演し、現実を語り続けている。氏の、線量計ひとつを手にしたスニーカー姿こそ、永遠の青春の姿ではないだろうか。

 底知れないこの現実の中にあっても、今年79歳になられる中村氏のように、希望と勇気を持って、青春を保ち続けて生きていく私でありたい。
(木村浩子 歌人、画家)