<南風>プロ野球キャンプ


社会
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 立春も過ぎて春本番。「球春」という言葉は今の沖縄にぴったりです。NHKの記者時代は、沖縄はもちろん、高知や宮崎、Jリーグのブラジルキャンプも経験しました。沖縄にこれほどの数のチームがキャンプするようになったのも「平成」です。

 放送のキャンプ取材は球団の地元局から、通常は記者とカメラマン、編集マンの3人で出張してきます。豊見城にあった沖縄局では、期間中、屋上のプレハブ小屋にVTRの編集機を臨時に3台設置して対応していました。撮影したVTRは球場から沖縄局までタクシー輸送です。高速は首里まででしたから、名護や石川からだと1時間以上かかりました。

 届いたVTRを手際よく編集し、NTTのテレビ回線を借りて各局へ送ります。広島や中日は地元のローカルニュースで放送しますので、タイムリミットは午後5時過ぎ。毎日が時間との戦いでした。

 オリックスの宮古島キャンプはそれ以上に大変でした。VTRは空輸です。イチロー人気に沸いたこともあり、サンデースポーツでは2トントラックの荷台に組み立てられる当時最新鋭の小型衛星中継装置を持ち込んで生中継もしました。

 キャンプ施設の整備や管理も、かつては十分とは言えませんでした。糸満市西崎球場ではオリックスの選手が練習前にグラウンドに並んで、釘やガラス片を拾い集めるという一幕もありました。1990(平成2)年、読谷村に来たダイエー(当時)の田淵監督は、当初「ずっとここで」と気に入った様子でしたが、期間中は雨に悩まされ、たった1年で去ってしまいました。

 近年のプロ野球キャンプは、球場以外に雨天用の室内練習場やブルペン、サブグラウンドなどかなりの施設整備が必要です。沖縄のキャンプ隆盛は、地元の努力の成果だと実感します。
(繁竹治顕、九州国立博物館振興財団専務理事)