<南風>誰もが喜ぶ結末とは?


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 かなりショックな出来事がありました。私が住む家のささやかな庭で、他人同士の殺し合いの喧嘩(けんか)が始まり、私の家族も深く傷つきました。どういうわけか、その喧嘩で勝った方が私たちの庭に居座ったままでいる。「負けた方が家賃を払うから、勝った方に住んでもらって良いですか?」と、どこからともなく条件が提示された。いや、待てよ。ここはどこだ?「私たちが住んでいる家ですよ。ひとまず庭から出て行ってもらっていいですか?」と言っているのに、もう何十年もこの状況で生活している。

 という書き出しで小説を書いてみようかしら。この話の続きを読みたい人がどのくらいいるだろう。どんな結末が待っているのか。結末を募集します。

 実は、このような文章を私のフェイスブック上に投稿したら、様々なコメントが寄せられた。「非常に分かりやすいですね」「野良猫たちの話ですか?」「結末は自分で考えてください」「本当にあったことだと思ってビックリしました」などなど。

 前述の物語が思い浮かんだ瞬間を覚えている。本土で生活しているとある方の「沖縄の人は基地を受け入れたら良いじゃない?」という言葉だ。経済的に潤うのでは? という理由からだ。

 沖縄の今を生きる我々に必要なものは何だろう。戦争につながる基地の無い平和な島か? 平和を守るために、見えない恐怖に対抗するための基地か? どちらにも不安材料が尽きない人間の世界。

 いよいよ「辺野古米軍基地建設のための埋め立て」について県民投票が行われる。我々は戦前、そして戦後間もない沖縄の歴史にも目を向け、当時のことを知らなければならない。笑顔の未来をみんなで想像できる社会。できるだけポジティブに参加したい社会が必要だ。小説の結末はみんなで考えたい。
(宮島真一、カフェ映画館「シアタードーナツ」経営)