<南風>米百俵の精神で


社会
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 昨年6月、新潟県長岡市に行く機会を頂いた。長岡市は毎年、人づくりに大きく貢献している個人または団体に与えられる「米百俵賞」を贈呈しており、私の活動している団体が受賞することになった。新潟に行ったこともなく、日本史にも関心の薄い私だが、この賞の由来と史実を知り、大変感銘を受けた。

 それは、明治時代の長岡藩にいた大参事であり教育者の小林虎三郎が、戊辰(ぼしん)戦争で敗れた藩の復興を任され、分家から頂いた救援物資の米百俵を、藩士に食料として分配せずにお金に換えて学校を建て、教材を準備し、優秀な教師を集め、多くの青少年が教育を受けられるようにしたのだ。その日の食べものさえ十分になく困窮していた長岡の人々は、当初は反発したものの、人を育てることこそが町をつくる、という虎三郎の説得を受け入れ、長岡は新しい町としてよみがえった。

 「食えないからこそ教育を」という米百俵の精神とは、虎三郎と長岡の人々の覚悟と忍耐だったのだと思う。学校を建てたからと言って、すぐに立派な町になり、食うのに困らなくなるわけではなく、決して楽な道のりではなかったはずだ。しかしその先に、子どもたちに誇りを持って語り継ぐことのできる輝かしい将来を思い描いていたに違いない。

 さて、沖縄はどうだろう。私たちは、その日暮らしで目先のことだけに囚(とら)われていないだろうか。私たちは、より良い将来のために、困難な明日を選ぶ覚悟と忍耐を持つことができるだろうか。子どもたちに誇り語れる沖縄の輝かしい未来を手

渡すことができるだろうか。

私たちは100年後の沖縄を、希望を持って明確な将来像で語れるだろうか。そんなことを語り合える場がもっとあってもいい。

 米百俵の精神は、今こそ私たち一人ひとりに必要なのではないか。
(糸数未希、にじのはしファンド代表)