<南風>スキューバダイビング


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 透明な海で遊ぶ色鮮やかな魚の姿が目に飛び込んできました。「こりゃぁ、スキューバで潜らないと」古座間味でシュノーケリングをして、そう直感しました。

 最初に沖縄に異動した平成元年の秋。担当していた沖縄総合事務局の記者クラブで、座間味島に1泊のレクリエーションに行った時の鮮烈な思い出です。

 それから半年後のゴールデンウイークにさっそく講習を受けました。北谷の海岸と真栄田岬で練習すること3日。広島育ちで子どもの時から瀬戸内海で泳いできましたので、オープンウオーターのCカードは苦も無く取れました。

 その後は休みを工面して、月に1回程度は潜っていたように思います。最近は働き方改革が叫ばれていますが、その頃は忙しい中でダイビングを楽しむ記者仲間が少なからずいました。気分転換はもちろん、健康維持にもなったと自負しています。

 海のラビリンス・伊江島のグランドキャニオンに心ときめかせたり、大度海岸のチンアナゴや西表島の枝サンゴに心なごませたりと、沖縄の自然を満喫しました。ですから、いったん報道局に異動した後、再び沖縄勤務を内示された時は、渋谷から池袋のダイビングショップに直行し、足りない機材を取り揃(そろ)えたほどです。

 悲しいことにその準備は生かせませんでした。着任後は戦後50年の慰霊の日の放送準備に始まり、参議院選挙、福岡ユニバーシアードの応援と続いて、出張から戻ったら少女乱暴事件で沖縄全体が騒然としていました。

 いつ、どんな連絡が来るかわかりません。上司の放送部長は「海中で使えるポケットベルを持っていくなら潜ってもいいぞ」と無理な注文。ニュースデスクという仕事の面では充実していましたが、ダイビングとは無縁のまま月日が過ぎていきました。
(繁竹治顕、九州国立博物館振興財団専務理事)