<南風>マニュアルとは


社会
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 口と足で絵を描く世界身障芸術家協会の会員である関係から、私は各地に出掛けることが多い。

 先日、私用もあり福岡に行っての帰りの機内でのことである。いつものように友人に空港まで送ってもらい、機内の座席までの移乗のやり方をスタッフに伝えて友人は帰られた。

 移乗は難なく終わり、ホッとしていたのもつかの間、私は乗務員の方たちに囲まれてしまった。

 揺れの恐れに際し危険だからと、胸の位置をベルトで固定するとのことだ。座席ベルトの上にさらにベルトをするというのだ。

 私はCP(脳性まひ)のため、両手足と言語に障害がある。見るからに重度障害者であり、危険と思えるのかもしれない。

 しかし、私の場合もだが、マニュアルだけで片付けられると逆効果を及ぼすこともあるのだと認識してほしい。

 私の精いっぱいの抵抗もむなしく、息苦しく大変な1時間半のフライトだった。

 もちろん、今回だけではない。台風の影響が予想された日はやむを得ず耐えるしかなかった。しかし、当日は最高の天気だったため、機長さんも揺れの恐れは考えられなかったはずだ。

 「機長の指示により」の言葉でマニュアルを安易に行わないでほしい。

 しょせんマニュアルは人が考え、決めたことである。千差万別の世界にある私たちに対して、いったいどこまでマニュアルが使えるのかと考えてしまう。もしもその先がAI(人工知能)でしかないとしたら、恐ろしい話である。私たちは温かい血の通う人間であり続けたい。

 今回、私事で出発時間を20分も遅らせてしまったことを、乗客および乗務員の皆さん、特に乗客の皆さんに、紙上にて心からおわびいたします。

(木村浩子、歌人、画家)