<南風>窯焚き


社会
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 3月1日の朝、前日まで自分の工房で一度素焼きした器たちを自家用車に載せ高速に向かった。石川インターから乗り、通勤通学の車に交ざりながら車を走らせ、那覇インターで下りる。県立芸大の首里崎山キャンパスでの登り窯へ。私と同じように県内に住む卒業生が自分の作品を持ち集まってきた。今回は学生、教員、卒業生合わせて十数人、有志での窯焚(かまた)きだった。

 大学内に登り窯があること自体が珍しく、高校の美術の教員をしている私の同級生が、毎回登り窯を見せるため生徒を連れて来ていた。今回来ていた子は、4月から県外の陶芸学校への進学が決まっていた。夕方には帰るだろうと勝手に思っていたのだが、もっとみていたいと一度帰宅し親の承諾を得て夜まで作業を共にした。

 大学時代、登り窯の授業にあまり魅力を感じずにいた自分とは、明らかに熱量が違っていた。今となっては私にとっても良い経験だと思えるのだから、彼がこの日得た経験はより豊かなものになるに違いなかった。

 この登り窯はキャンパス内に7千個ものレンガを組んで昨年完成し、火が入ったのは昨年のうちに2回、今回で3回目となる。窯は焚けば焚くほど、温度の上がり方が安定する。今回は温度の上がり方、その窯の雰囲気はだいたいつかめているつもりだ。(石川の穴窯のようなことにはならないだろうと)。焚き口の火の番を学生たちと交代しながら、3日の朝方、窯焚きを終えた。そして、7日に窯出しをした。四つある登り窯の部屋からそれぞれが、器、壺、シーサー、鉢、オブジェ…等を取り出していった。

 私は前回この登り窯で紫黒色に変化した土をもう一度今回も焼いてみたのだが、思うような色に変化しなかった。また作りたい、何とも言えないあの色を。
(山本憲卓、陶芸家)