<南風>台湾ライブで転機


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 人生には何度か転機が訪れるといいます。私にとってその一つが台湾です。台湾で初めてライブをしたのは2010年12月で沖縄国際物流ハブ活用推進事業の一環として台北の沖縄アンテナショップなどで歌いました。宮古島と台湾の距離は沖縄本島との距離とさほど変わらず本土よりはるかに近いので、個人的には海外というより隣の県という感覚になるほどの親近感。歴史文化も重なる部分があり、国境線が引かれる以前から盛んに往来していたそうです。

 台湾とより深い交流が始まったのは15年の伊江島ゆり祭りに出演した際、台湾から一人旅で会場を訪れた音楽家のスアナさんが私の歌を聴いたことがきっかけでした。偶然に同じ宿に宿泊していたようで翌朝朝食時にあちらから声をかけてきて、前日の私のライブの感想や演奏会を企画し台湾に招待したいというお話をいただきました。

 不思議と話がとんとん拍子に進み台湾各地でライブを行い、滞在中はグループで共同生活をしながら親睦を深め、その後共同製作したアルバムが台湾版グラミー賞といわれる金曲奨を受賞することになるとは全く想像していませんでした。何がきっかけになるか分からないものです。

 100年ほど前に宮古島と台湾間で貿易業を営み、志半ばで若くして亡くなった曽祖父もきっと喜んでいる。縁がある人とはどこにいても会えるものです。見えない力と奇跡に導かれた台湾との交流。私の座右の銘は「イミッチャカラドゥウプフナズ」という宮古のことわざで、最初は小さくても努力を積み重ねればやがて大きな成果を出し、小は大になるという意味を持ちます。未来に期待し、いつか大きな花を咲かせられるように目の前のことをこつこつやっていきながら、歌手として民間レベルで国際交流を続けていきます。
(HIRARA(ひらら)宮古島出身歌手)