<南風>友人ジュリーさんのこと


社会
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 ジュリーの住むオーストラリア南オーストラリア州アデレード市は今、秋である。先日私は、口と足で描く芸術家協会の用事もあって、3週間の予定でアデレードに行った。

 ジュリーは産婦人科病院勤務の63歳のキャリアウーマン。6人の子どもの母親でもあり、現在も4歳の子を育て面倒をみている。

 彼女の職場にはさまざまな事情を持った妊婦が訪れる。日々それに携わることによって、人の命ほど神秘的で尊いものはないと、彼女は真剣に言う。

 今、面倒をみているその子の母親は、出産と同時に亡くなった。生まれたばかりの赤子を引き取る者がいないまま、育児施設の空きを待つしかない状況になり、彼女がやむを得ず一時的に預かることになった。

 衰弱していく小さな命、必死で生きようするその命を目前にして、彼女は自分の体から母乳を出し、与えることを決心したのだ。

 仕事の関係で薬などには詳しく、ホルモンなどの投与と命への熱い思いと愛によって、自らの乳房から母乳を出すことに成功した。育てられた小さな命は今、健康そのもののかわいい女の子に成長している。

 まさにそれは、沖縄の「命(ぬち)どぅ宝」につながる精神ではないだろうか。

 昔から沖縄では、恵まれない子は誰かが親代わりになって育てていたと聞く。私の親しい友人の中にも、そのような人が幾人かおられる。その子どもたちの未来をひたすら信じている、たくましく優しい人たちだ。そのことを思う時、「命どぅ宝」の意味の深さを感じずにはいられない。

 殺伐とした日本での日々に冷えと恐れを感じていた私は、今回の旅でジュリーさんと再会し、自らの乳房を与え小さな命を救ったジュリーさんたちと「命どぅ宝」を思うことで、得難い3週間を過ごすことができた。
(木村浩子 歌人、画家)