<南風>ヘリコプター墜落事故


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 NHK記者として通算6年間を過ごした平成の沖縄の思い出の中で、痛恨の記憶があります。本竜行記者と高松誠チーフカメラマンの2人を失ったヘリコプターの墜落事故です。

 事故が起きたのは、沖縄水産が夏の甲子園で初めての決勝進出を決めた1990年8月20日の夕方。湾岸戦争が発生し、中東に兵員や物資を送るため米軍の動きが慌ただしくなっていました。

 本君は、河野憲治君(現アメリカ総局長)の後任として基地担当になった直後で、張り切っていました。高松さんも夏の異動で2度目の沖縄に着任して一月ほど。2人がホワイトビーチでの積み込みを取材している時のことでした。携帯電話のない頃です。無線機を持って事故現場にタクシーで急行し、手前の丘の上から照明がたかれた桟橋を、隔靴掻痒(かっかそうよう)の思いで見つめました。

 事故の2日後、朝から桟橋にいました。本君のご両親が花束を投げ入れるのを見守った後、一人残って機体の収容作業に立ち会いました。警察と自衛隊、米軍の潜水班が海底を捜索しましたがメインローターが見つかりません。このメインローターが吹き飛んだことが事故の直接の原因でした。

 その6年後、副部長の時です。尖閣諸島への香港活動家の抗議船をヘリ取材することになりました。長距離の洋上飛行のため1回目は計器飛行ができる大阪の中型ヘリが派遣されました。2回目は中型を手配できず、沖縄の小型ヘリにパイロット2人が乗って安全確保しました。ところが3回目はパイロット一人で飛べるとの判断が示されました。明確な説明がないので、私は「取材はしない」と上申しましたが、認めてはもらえませんでした。

 痛恨の記憶を持つものとして、今も当時の報道局の判断を不満に思っています。

(繁竹治顕、九州国立博物館振興財団専務理事)