<南風>難民たちの井戸端会議場


社会
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 連休の10日間をどう過ごすか。いろんなところで連休をテーマに話し合いがなされている。その人たちを私は「連休難民」といっている。勤勉といわれ、それを誇りに思い、働くことを生きがいにしてきた日本の男性たちに取って、今回の連休は悩むところであろう。

 Kさんは夫婦共稼ぎで、4人の子供を大学にまで入れ、日々ギリギリの生活をしていた。職場から突然離職を命じられ、長年の夢であったマンション購入のローンも支払えず、途方に暮れたという。唯一見つかった仕事はコンビニのパート。しかしパートでも食いブチの稼ぎを求めて若者が殺到すると聞く。まさに「難民」なのだ。

 福祉面でも難民は続出している。人手不足と重なり、この連休は施設側も利用者側も大変なことになりそうだ。私自身以前、国立別府重度障害者施設にいた時のことだが人手不足のためかトイレで2時間以上待たされた記憶がある。それは、両者にとって場合によっては死活問題になりかねない。

 AIとやらに仕事を奪われ妻子にも逃げられてしまったと笑いながら話している男性2人が示し合わせたかのようにカップラーメンの入ったビニール袋を揺らしながら行く姿はあまりにも弱々しかった。勤勉に働き戦後の日本を支えて来たことが誇りの彼らである。

 AIの時代に入り、役に立たない私たちを人間の処理場に運ばれて行く夢を見た。若かった頃、久々に私は友人と映画を見た。題名は忘れたが、自然破壊のためすべてができなくなり、生産に役に立たない者をトラックに山積みにして処理場に運んで行く内容だ。

 私はトラックに山積みにされ処理場に運ばれたくはない。カップラーメンを大切そうに持つKさんたちに会うため私も車いすで公園に出掛けよう。そこは差別も冷たい目もない難民たちの井戸端会議場だから…。
(木村浩子 歌人、画家)