<南風>ゴールの先にあるもの


社会
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 前回、娘の不登校を書いたコラムについて、多くの方々から温かい励ましの言葉をいただきました。ありがとうございます。娘からは「あの頃、お母さんより私の方がつらかったのに、お母さんが感謝されるのはなんか腹立つ」と、もっともなコメントをいただいております。

 実はもう一つ、忘れられない経験があります。そして、今でもあれでよかったのだろうか、と思い出すことがあるのです。

 娘が幼稚園年長の運動会でした。いろんな出し物が終わり、メインのかけっこになりました。年長の子どもたちは、一番長いトラック一周コースです。用意ドン!娘も順調にグングン走っています。最初のカーブを曲がり、直進、そして最後のカーブに差し掛かったその時、体重をかけた左足が支えきれずに左側に倒れてしまいました。左側の全身を強く打った娘は「いたいー、いたいー」と泣いていました。夫も私も娘のもとに駆け寄りませんでした。泣く娘をじっと見つめながら、私も泣いていました。「あなたは立ち上がって、ゴールまで行ける」。そう信じて、そう願って、全身全霊の祈りを娘に込めました。娘は間もなく、いたいよーと泣きながら立ち上がり、歩き始めました。周囲の大人も、がんばれーと娘を応援しました。そして娘は最後まで歩ききりゴールしました。

 「あの時、親として本当にあれでよかったのか。痛いと泣く娘に一番に駆け寄って、痛かったね、でも大丈夫だよと抱きしめた方がよかったのではないか」と。夫も、「今でもあの時、助けに出て行けていたらと思うよ。でも、そうしたら彼女のがんばりを台無しにしてしまう」と言います。この話をすると、いつも涙が出てきます。なぜでしょう。子育てって難しいですね。ゴールの先に何があるのかは娘しか知らないのでしょう。
(糸数未希、NPO法人にじのはしファンド代表理事)