<南風>「イザイホウ」から感じる性


社会
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 上映している映画の感想を、じかにお客さまから伝えていただけることが本当にうれしい。現在、シアタードーナツで上映している記録映画『イザイホウ』(1966年)を鑑賞された、ある女性の感想をここで紹介します。

 「私は今、女性としての季節の変わり目にいます。娘の季節から妻・嫁・母の季節、そして今、老婦人の季節へと移行しようとしていています。女性としての迷いの多いこの季節の変わり目にこの映画に出会えたこと、私にとってはとても大きな意味がありました。私も命に直結している女性だからこそ“神聖な存在の仕方”へと女性たちから誘われたい…と、映画を見て切に思いました。

 儀式には参加していませんが、誘われているようでした。私自身がこれからを生きる上で必要だと思われるものが、おぼろげながら見えてきました。大切なことをつかみかけている予感がします。記録を残してくださった監督に深く感謝します。本作を通して、女性たちが自分の中の『女性』を感じられたなら…と思います」

 男性の感覚では絶対に考えも及ばない感想だと思った。久高島の「イザイホウ」は1978年を最後に消滅した。おそらく、もう二度と行なわれない神事の貴重な映像から、われわれは何を感じ取れるだろうか。昨今、さまざまなテーマを扱う劇場用ドキュメンタリー映画が増えている。ひと昔前までは考えられない現象だと思う。

 「映画」は残るものであり、残したいもの、伝えたいことがあるから映像作家は「映画」を作り続けるのであろう。先の感想は、劇場はそのような価値がある時間を提供していく場であり、機会であるということを再確認させてくれた。感想を伝えてくれた、ある女性と「映画」に私も深く感謝したい。

(宮島真一、カフェ映画館「シアタードーナツ」経営)